Canis No8 秩父宮記念三峰山博物館所蔵のCanis hodophilax毛皮の計測値(国内外8例目)

2002年5月24日。秩父郡内大滝村三峰神社より鑑定依頼を受けたCanis属の毛皮標本が元国立科学博物館動物研究部長今泉吉典博士に依って国内外8例目のCanis hodophilaxの毛皮(剥製も含む)標本として同定を得られた。筆者はその経緯の全てを知り得ているのでここに報告する。

当標本は同年5月に秩父市内で建材業を営む飯塚正信氏より、三峯神社に寄贈されたもので、その3年程前に、飯塚氏が同市内寺尾在住の関根嘉之氏より譲り受けた標本である。
飯塚氏は嘉之氏の父馬作氏(明治39年生まれで、12-3年前没)からの情報として秩父山中で獲れた2頭のニホンオオカミの内の1頭であるとの認識を得ていた。又、馬作氏の実父である照作氏が畑2反歩を換金した末の入手であるとの伝聞も得ている。
 秩父市寺尾は荒川左岸に位置し、CANIS7 にて報告した内田茂氏の生家である秩父市蒔田とは目と鼻の距離である為、飯塚氏からの情報である2頭を捕獲したうちの1頭が内田家の毛皮である可能性に思いをめぐらされた。毛の色や大きさから推測した時、安直にそう考えることも可能な程、類似点の多い2つの標本だと言えるからである。
 しかしながら詳細を調査していくうちに2点の大きな違いが判明した。1点が毛皮の処理方法。1点が毛質から想像できる捕獲時期。内田家の毛皮が、頭、胴、足、尾、完全であるにもかかわらず、関根家(飯塚家)の毛皮は4足すべての先端部と鼻端部が切断された状態である。そして、内田家の毛皮は完全な冬毛であるが関根家の毛皮は冬毛が抜け変わる時期の毛質である。同時に捕獲された毛皮と考えるにはあまりにも大きな相違点である。ただ、関根家と内田家の毛皮が同じ時期捕獲された物で無いのであるならば、もう1例の毛皮が発見される可能性が有ると言えるのかも知れない。
尚、関根嘉之氏の叔父である都下八王子市在住の峰尾千代作氏は明治42年生まれ
で、関根家で本標本を入手した経緯を以下の様に話している。“一番上の兄、鶴作が戦争から帰ってすぐキツネ憑きになり、父照作を中心に家族が心配するなか死亡した。まもなく、近くに住む、正月屋(屋号)の一太郎さんという人が毛皮を持ってきたので、思案を重ねた末(跡取り息子が死んでしまったので)家の魔除けとして購入した。
 毛皮の入手時千代作氏は14-5歳で初めて見たときの印象として黄色っぽく、大きな毛皮だったと語る。父照作の妹の御主人が大工だったので、毛皮を納める箱を造って、一太郎さんが毛皮のいわれを筆で半紙に書き、箱の中に入れ神棚に置いていた。本年3月8日に内田家の毛皮がマスコミ報道された時、秩父の生家にも同じような毛皮があったけど・・・と、ふと思ったとのことである。
又、多くの情報が書き付けに記してあったが、入手した時、皮はなめした状態で、新しい物では無かった。捕獲地も不確実ではあるが、正丸峠の方向と言うか青梅の方向と言うか、そっちの方向と思う・・・・。一太郎さんの書き記した半紙が箱の中に残っていれば全ての事実がわかるはずなのにと80年前の古い記憶を必死になってたどってくれたのである。
 内田家の毛皮同様、本標本がCanis hodophilaxの国内外8例目として同定された決め手とも言えるべき点はCanis hodophilaxの命名者で犬科の新種と位置付けた、ライデン自然史博物館の初代館長、テミンク[TEMMINCK]が日本動物誌(Fauna.Japonica)にて著したその特徴の中の一つである“尾端に房を得ず”との記述を発見した事に依って、本標本が8例目として同定され得たと言えるのかも知れない。