『所蔵者』 埼玉県秩父市三峰298-2 秩父宮記念三峰山博物館
電話0494-55-0221
『由来』
長年に亘るニホンオオカミ研究の協力者で、動物病院の院長をされている、埼玉県上里町の久保山 匡氏所蔵である犬科動物の上顎吻端部が、当博物館に寄贈されるにあたり久保山家に伺った際、氏の先輩である秩父市在住の横田獣医が根付けを所有していて、ニホンオオカミではないかとの事を聞き及んだ。 実を申すと久保山氏所有の標本も横田獣医からの譲り受けで、記憶を辿ると動物の根付けを複数有していたはずだ!との事だった。荒川上流域での標本調査をあらかた終了したと考えていた私にとってそれは驚愕に値する事で、矢も盾もたまらず久保山氏経由で横田獣医に調査の許しを願い出た次第である。
秩父市の旧市街地に在る動物病院を訪ねた私を、暖かく迎えた横田獣医は標本について以下の様に話してくれた。
「昭和30年代初め、動物の根付け(特にニホンオオカミ)が世間の注目を集めた時期が有って、興味を持っていた獣医の噂を聞いた近辺の業者が持ち込んだ中の一つに過ぎず、多分との断りの中、群馬の骨董屋から求めた物だろうとの事だった。多い時は片手に余る標本を有していたのだが、熱が冷めてからは欲する人に提供し、今となっては当標本を残すのみになった」との事であった。
根付けとして実用的な大きさに加工されたニホンオオカミの下顎右吻端部は、猟師の持ち物として使いこなされた火薬入れと対になっており、獣医の話す通り密封されていた直径15mm全長55mmの栓を抜くと、何時の時代の残香で有るのか硝煙の匂いが立ち込めて来た。
生活様式の変化と共に、留め具としての根付けは、そのものが独立した状態で残されている例が多く、腰紐から落ちない為に根付けと対で使われていた提げ物が一緒に残されている事は非常に少ない。黒漆で施された直径90mm厚さ30mmの螺鈿細工の火薬入れは、紐の一部を除き往事の儘で、獣医の手許に残されていた最後の標本-根付けとその提げ物-は、今まで私が見て来た中で俊逸とも云うべき品物だった。
調査の中で感嘆の声を発する私を見て、「そんなに気に入った物なら差し上げましょう!」と、惜しげも無く発する獣医の言葉に一瞬驚愕の表情を浮かべたのであるが、夢心地の中で意に従う事とした。久保山獣医の言葉を借りるならば何時もの事なのだろうが、発した言葉が私個人にで有るか、博物館に対してで有るか確認せぬまま、博物館代表として心底より礼を述べ、懐中深く仕舞い込んだ標本と共に三峰山へと向った。
『所見』
下顎右吻端部の犬歯(C)を中心に門歯( I )3本、前臼歯(PM)を2本残した状態で鋭い刃物にて切断され、長さ44mm、高さ39mm、厚さ15mmのサイズに整えられている。
用途が火薬入れで有った為か、根付けとしてコンパクトに実用的に細工された標本である。
犬歯の形状、長さ(24mm)、其根部の太さ(13mm)、等を総合的に考察して二ホンオオカミの下顎右吻端部と鑑定される。