秩父野犬の詳細

1996年10月秩父山中で撮影された犬科動物

前書き
 1996年10月14日午後4時
 秩父山中の林道を走る私の車の前に、突然1匹のイヌ科動物が現われました。
とても不思議な動物でした。
 ヤッター!の歓喜とマサカ?の懐疑が交差する中、シャッターを押し続けました。
苦労の末19枚を撮影することが出来た私は、ニホンオオカミの権威である
 今泉吉典博士に全ての写真を送り、所見をお願い致しました。
分類学者である博士は写真の動物を「秩父野犬」と仮称し、オランダに在るニホンオオカミのタイプ標本と比較検討した上、秩父野犬は何物であるか・・・と推測をしたのです。
 今回私達の会が、NPO法人として正式に発足したのを記して、19枚の写真全てと今泉博士の書簡を掲載する事と致します

NPO法人 ニホンオオカミを探す会 代表理事 八木 博

撮影時は夢中でしたから、詳細に気付く事は有りませんでした。
何千分の一秒の表情、行動形態等を捉えると上記の写真になる訳です。
 ニホンオオカミの権威、今泉吉典博士は分類学者ですから、オランダに在るタイプ標本と送られてきた写真を比較検討し、以下の文面を作成されたのです。

今泉吉典博士の所見

 秩父の山中で10月14日に撮影された貴重な野犬の生態写真を見せて頂き、お礼を早く出さねばと思うものの迂闊に返事が書けなくなって困りました。というのは写真の「秩父野犬」が日本狼のタイプ標本(ライデン自然史博物館の夏毛)にそっくりなのですが、頸に首輪を吐けていたような毛並みの乱れがあり、人をあまり恐れていないようにも見えるので、噂のように狼とハスキー犬等の雑種「狼犬」を誰かが放したのかも知れないと心配になって来たからです。
 しかし「狼犬」に「秩父野犬」のような耳介の短く丸い個体が現れるものでしょうか。
その可能性は低いとしか思えませんが、そうすると「秩父野犬」は日本狼の生き残りということになってしまいます。
雉鳩その他の野鳥や狸のように日本狼も人を恐れなくなってのこのこ人里に出てきたのでしょうか。
 「狼犬」を除いて考えれば、「秩父野犬」は日本狼 Canis hodophilax のタイプ標本(ライデンの自然史博物館所蔵の夏毛の本剥製)に酷似していて相違点が私には全くみつかりません。

タイプ標本にぴったり一致するのは
 (1)耳介が短く前に倒しても目に届かないこと(大陸狼 Canis lupus は耳介が長く前に倒すと目に達する)。
 (2)前肢が短く体高率(体高/体長×100)が約50%(写真13)に過ぎないと思われること(タイプは48.5%。大陸狼は体高率が高く、ソウル昌慶苑飼育のチベットオオカミ Canis l, chanco の写真では約62%、Brown,1983 が調べたメキシコオオカミ C,l,baileyi のそれは65,7-71,4%)。
 (3)耳介の前に始まり下顎に達する長毛の塊(頬髭)があること(この特徴はBrown が初めて指摘したものでタイプにこれがあることは写真で確認。頬髭は日本犬やデインゴにはない。しかし大陸狼には顕著な頬髭がある)。
 (4)胸と腰の上半分を覆う毛は胴下面の毛より長いマントを形成するが、この部分の毛は基部が灰色で先1/3だけ黒いため霜降り状を呈すること(普通の犬にはマントがない。しかし大陸狼にはある)。
 (5)背筋には先1/2以上が黒色の更に長く、且つやや逆立った毛で形成された黒帯があり、その外縁が肩甲骨の後縁に沿って下降し菱形班を形成すること(普通の犬には黒帯がない。大陸狼には時に見られる)。
 (6)尾の上面基方1/3にはスミレ腺の存在を示す黒班があること(写真16。Brownによると犬にはない。大陸狼にはある)。
 (7)尾端が黒いこと。
 (8)耳介の後面と頸側(写真17)及び前肢外面(写真7)には先の黒い毛が殆どなく鮮やかな橙赤色を呈し、灰色のマント部に対照する二色性を示すこと(二色性は犬や大陸狼では稀)。
 (9)前肢全面、腕関節の上方に暗色班があること(写真7,9,17。犬では稀、大陸狼では約半数に現れる)。
 (10)目の周りに鮮明な淡色班がなく特に四つ目でないこと(大陸狼では殆ど常に明瞭な淡色班があり、しばしば四つ目を形成する)。
 (11)顔に額段(ストップ)がなく、吻が前頭部に対してしゃくれていない。このため吻上面に接する平面が目の上と耳孔より上の耳介前縁基部を通る(写真8,大陸狼には軽度の額段があり、吻上面が前頭部に対してしゃくれていて、吻上面に接する平面が目と耳孔を通る)。
 (12)足底(前後足の地に接する部分)は中度の楕円形のようである(タイプでは計測不能であったが、ロンドンの鷲家口標本では前足が55×74ミリ、後足が46×60ミリであった。大陸狼はもっと細長いようである)。

 「秩父野犬」に見られた以上 12 の形質は全て日本狼のタイプ標本に一致するが、大陸狼とはこのうちの1,2,8,10,11,12,が違い、日本犬やデインゴに似た犬とは1,3,4,5,6,8,9,11,12が違う。したがって「秩父野犬」の形態は日本狼に最も近いと断定できる。さらに「秩父野犬」の耳介は外縁が耳嚢 bursa 上方で強く前方に屈曲し、先端部が丸い(写真9,10,19)が、これは耳介の外縁の曲がりが弱く先が尖った日本犬や大陸狼とは顕著に違う特徴だと思います。これに似た狼は私が別種と考えている北極狼 Canis arctos (全身白色)と日本狼(秩父の毛皮)しかないようです。
ただ残念なのは日本狼のタイプ標本でこの点を確認していないことです。日本狼は大陸狼に近縁な動物でその亜種に過ぎないと長い間考えられて来ましたが、どうやら全く別の種のようです。
しかし「秩父野犬」も冬毛になれば狼らしい姿になるのではないでしょうか。なお「秩父野犬」の左右両足には狼爪がありますが、紀州犬の80%には狼爪がある(太田、1980 )そうですから、これは残念ながら識別形質と見なすわけには参りませ
ん。
   もっと詳しい報告を書きかけていたのですが突然週刊誌においかけられ、慌てて要点のみ御報告することにしました。不完全ですがお許し下さい。  「秩父野犬」の正体はともかく、ハスキー紛いの狼犬ではなく日本狼の生き残りの可能性がある貴重な動物であることだけは確かです。この正体は今後の調査によってしか解明されないでしょう。
調査と保護に全力をつくされるよう期待しています。

                                                         敬具      
                1996年11月29日       今泉  吉典

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