『初めに』 |
ニホンオオカミ Canis hodophilax の剥製、毛皮標本が国内(科博、東大、和大、三峯2体)国外(英、独、蘭)8例を数える事はすでに広く知られる所である。しかしCANIS 15にて報告したとおり、生存時の姿態を想像するのにやや苦労を要するとは云え、都下瑞穂町の高橋家所蔵の毛皮を含めると9例に達する。もうこれ以上出る事は無いと思っていたのだが、予想も出来なかった所に伝わっていたのである。どんな情報からこの標本を知ったのか今となっては思い出す事も出来ないが、かなり早い時期に承知していた事は確かである。秩父山中での生体捜索と標本調査に追われて多忙な中、地理的に不案内な静岡地方まで足を伸ばす事をためらっていた私が、標本の撮影、計測を実現出来たのは21世紀を間近にした晩秋だった。 御承知の通り静岡県下には春野町に春埜神社、水窪町に山住神社、と、御眷属としてニホンオオカミを祭っている名高い神社が有り、それぞれが春埜講、山住講をなしている。世紀が変わって間も無く、所蔵者の両家が、遠く三峯神社の講中である事を知り、恐る恐る博物館での標本借用を申し出たところ、快く応じていただく事となり、半年間の長きに渡り展示する事となった。展示の為博物館に向かう際の私の気持ちは、まさに、天に上る心地であった。両家に対しこの場を借りて、深く感謝の意を表すものである。 |
『由来』 |
麻機の一番奥まった奥池ヵ谷という所に、大変鉄砲の上手なさき爺さんが住んでいました。このあたりは、いくらサツマイモなどを植えても収穫の頃になると山の獣に荒されて、里人は貧しい生活を送らなければならないのでした。 或る日、さき爺さんは、いつものように鉄砲をかついで山を歩いていると、向こうの笹薮がガサッと動きました。さき爺さんはそれがオオカミであることを見抜きました。 一発でオオカミをしとめたさき爺さんは、応援を頼み里まで引きおろしました。その時、もう一頭のオオカミが、悲しそうに鳴きながら見え隠れにどこまでも後を追ってきました。それから一週間もの間、夜になるとこのオオカミがさき爺さんの家の周りに現れ、鳴き続けました。 ところで、このオオカミの毛は、爺さんの家に大切にしまってありましたが、いつの頃からか、これが獣憑きを落とすのにとても良いと云われる様になりました。この毛皮を布団の下に入れておくと、たちまち憑き物が落ちると云うのです。これが評判になると、「ぜひ貸して下さい」と云う人が次々と現れて、西へ東へ大活躍だったといいます。 (今でも皮の一部と、頭の一部が、剣持、杉山両家に伝えられています) ―由来は【あさはたの史話と伝説-きつね落しの毛皮】を引用― |
『所見』 |
骨口蓋後縁中央部の湾入の形状、採寸値等から思考するに 二ホンオオカミ Canis hodophilax Temminck,1839の上顎骨先端部であると鑑定致します。2007年12月07日 秩父宮記念三峯山客員研究員 八木 博 |