Canis. No21.和歌山県日高郡美山村串本産  ニホンオオカミの下顎骨加工品(根付け)

『初めに』
近年二ホンオオカミの根付け標本がインターネットのオークションに出展され、多くの人達の眼に触れる機会が増えて来た。10年前にはとても考えが及ばない事だったのだが、それが時流と云う事なのだろう。今風に云うならば根付けは“ストラップ”であり、携帯電話に付随する部品の一つ、アクセサリーなのだ。
しかし二ホンオオカミの根付けは、山中で生活の糧を得る人達の“魔除け”であり、極端に云うなら命綱だったのだ。その多くは煙草、薬籠、火薬入れを身に着ける為の必需品で、山人達に取って高い価値を見出す物だった。それ故紀伊半島に現存する標本の多くは根付けであって、頭骨の全体像が伝わる事例は2体に過ぎない。根付けとしての商品価値がより高かった証であるのだろう。それらは紀伊半島での二ホンオオカミ研究の魁、岸田日出男著「日本狼物語」を紐解く事で理解できると考える。

『由来』
小川茂美氏の祖父小川熊之助氏は美山村串本に住み、冬は猟、夏は鵜飼とかなり趣味を極めてきた。当時珍しい村田銃を15円で購入所持していた。現在は椿山ダムができているが日高川の上流寒川の東西に刻まれた谷間に串本の集落があり、人々は家の前の谷間にわずかばかりの畑をつくっていた。背後の山から畑の作物を食べに猪が良く出てくるので、この辺りでは石垣を組んで猪垣をつくり畑地を守るのが習慣だった。畑地への猪垣の出入口には、そこから猪が入らないよう落とし穴を掘って置くのも良くする事であった。その落とし穴の一つにオオカミがはまっていると、落とし穴の所有者中谷氏から連絡を受けた熊之助氏は、所有している村田銃でオオカミを撃ち取った。
明治42年のことである。
下額骨だけを貰い受けてきた熊之助氏は、自ら漆加工を施し、根付けとして小川家に代々伝わる事となり、現当主の茂美氏も外出時には身につけ魔除けとしている。
下額骨以外は中谷氏に残したと云うが、現在中谷家には何も残っておらず、残念ながら先祖のその経緯も伝えられていない。
小川茂美氏は祖父熊之助に大変可愛がられ、他の猟の話と共にこれらの経緯を何度も話し聞かされたので、鮮明な記憶となって覚えていて、確かなものであると云う。

              (1995年11月、井上百合子聞き取り)     

『所見』

標本の形状、採寸値等から思考するに

二ホンオオカミ Canis hodophilax Temminck,1839の下顎骨先端部であると鑑定致します。

2004年12月10日   日本考古学協会員       井上 百合子

           秩父宮記念三峯山客員研究員  八木 博