小原 巖 (東京都大田区久が原5-5-21) Notes on the specimens of Canis hodophilax and Japanese native dog preserved in Naturalis(National Museum of Natural History, Leiden). Iwao Obara 5-5-21 Kugahara, Ohta-ku, Tokyo,146-0085,japan ANIMATE 第3号 別刷 Reprinted from Animate No.3 2002年3月 |
ライデン国立自然史博物館 Naturalis(National Museum of Natural History) (Rijksmuseum van Natuurlijke Historie Leiden が地学博物館と合併して1998年に開館) には Canis hodophilax として登録されている3個体分の標本がある。筆者は1999年11月に、この博物館において、これらの標本を調査する機会を得た。ここにその概略を述べる。 なお、NaturalisのChris Smeenk博士には標本調査に当たり多大なる便宜をお計らいいただいた。ここに感謝の意を表する。 この3個体は今泉(1970)の整理に従うと次のようになる。 L1: 頭骨(a)と体骨格(a),♂ad,日本,Burger採集. L2: 頭骨(b)、性不明ad.,日本、Siebold採集 L3: 頭骨(c)と本剥製(a),(♂)old,日本、Burger採集.タイプ標本 (この個体はオスではないらしい、その理由は後に述べる)。 Jentink(1892)によりhodophilaxのタイプは、この標本のうちの本剥製の(a)と頭骨の(c)とされた(今泉、1970)。また、この3標本の分類学的な固定は今泉(1970)に詳述されている。その結果は、L1はイヌCanis famiriaris, L2及びL3はニホンオオカミhodophilaxであった。 各々の頭骨を同一テーブルに並べ比較すると、各頭骨の大きさや、下顎が接地する部分の違いが分かる。即ちhodophilax(L2及びL3)では下顎角部が接地せずに静止するが、famiriaris(L1)は下顎角部が接地している(図1)。以下に各標本についての知見を述べる。 図1 3標本の比較、右:(L1)famiriaris、中:(L2)hodophilax、左:(L3)hodophilax(Type) L1標本 Canis familiaris Linnaeus,1758 頭骨(a)と体骨格(a),♂ad,日本,Burger採集. 全身骨格が箱に収められ,保存状態は極めて良い(図2). この標本がhodophilaxではなくfamiliarisに属することは今泉(1970)で明らかにされている.産地は日本とだけ記載され詳細は明らかでないが, hodophilaxとして登録されていた1体であることから,Sieboldが日本滞在中に,野性状態で捕獲されたものであろう. 頭骨の計測値は表1のとおり. 図2 L1標本の保存状態 表1 ライデン国立自然史博物館にC. hodophilaxとして登録されていた3標本の頭骨計測値(単位mm) No.SexGLCBLZygNasC-CC-M2(alv)P4(crown)M1(crown)MandL1familiaris♂209,5196,2112,243,518,320,5153,4L2hodophilax223,1209,4126,178.043,9591,621,326,9166,8L3hodophilax (type)♀186,3178.6110,066,137,7576.217.920,5138,3GL:全長, CBL:基底全長, Zyg:頬弓部幅, Nas:鼻骨長, C-C:犬歯部幅, C-M2:犬歯~第2臼歯(上顎歯槽), P4(上顎), M1(下顎) 明治時代以前の野犬との比較:江戸時代末期の日本産のイヌとしては、次の頭骨3例が知られている.これらは何れもヤマイヌとして、呪いのために保存されていたものである. 神奈川県丹沢大倉尾根 CBL 192,0 mm (直良,1965). 神奈川県丹沢箒沢 CBL 167,0 mm (直良,1965). 神奈川県箱根明神ヶ岳 CBL,182,5 mm (小原,中村,1992) L1標本の基底全長CBL(前顎骨先端から後頭・・・・まで頭骨正中線と平行な距離)は 196,2mmあり,直良(1965)が大型家犬として注目した丹沢大倉尾根産頭骨よりさらに大きい. 現代の日本犬との比較:現代の日本犬には,大型の秋田犬から小型の柴犬まで幾つかの犬種グループがある. 秋田犬と中型の四国犬及び紀州犬の基底全長CBLを小原,今泉(1980)の資料をもとに示すと表2のとおりとなる. 表2 現代の大型及び中型日本犬の頭骨基底全長(mm) N範囲MSDM±2SD秋田犬♂5195,3~212,8206.76,99192,7~220,7四国犬♂9178,8~188,4183,82,77178,3~189,3♀6162,5~178,2171,06,18158,6~183,4紀州犬♂1181,0 L1標本の196,2mmは秋田犬オスの平均値206,7mmよりは小さいが、そのM±2SDの範囲192,7~220,7mmに含まれる。しかし、四国犬オスのM±2SDの範囲178,3~189,3mmには含まれず、四国犬より明らかに大きい。紀州犬は資料が少ないが、四国犬と大差ないであろう。L1標本は、現在の中型日本犬より、むしろ秋田犬に近い大きなイヌであった。 Hodophilaxとの比較:hodophilaxの基底全長CBLの最小はタイプの178,6mmから、最大は直良(1965)による214,0mm(丹沢産)まで変異が大きく、L1標本の値はこの範囲内にある。丹沢産(N=12)ではM±1SD=201,47±7,99(小原,1990)でL1標本の値は、丹沢産ニホンオオカミの値に極めて近い。 頭骨形態の特徴:この頭骨はイヌとしては顔面部プロフィールの中凹の程度は小さく、前頭甲frontal shieldの高まりも少ない。 しかし、hodophilaxと比較すると、顔面の中凹は強く、前頭甲の正中線部の凹みは明らかである。頬弓の張り出しは弱く、頭骨を全面から見た場合、前頭骨と頬弓それぞれの後眼窩突起を結ぶ線は、強い傾斜を示し(図4B)、hodophilax(図5B,図6B)との違いは明らかである。 L2標本 Canis hodophilax Temminck,1839 頭骨、性不明 ad., 日本、Siebold採集. 計測値は表1、写真は図5に示した。 ニホンオオカミとしては比較的大型。 鼻骨前縁部が直線的で、骨口蓋後縁中央部の湾入が顕著なことなど、ニホンオオカミの多くに見られる特徴を良く示す。下顎左右のpm4を欠き、この部分の下顎骨には歯槽も認められない。骨口蓋に損傷が見られる。 L3標本 Canis hodophilax Temminck,1839 本剥製(a)と頭骨(c)♀old., 日本、Burger採集、タイプ. この標本は今泉(1970)に詳細に記載されている。 本剥製:ほぼ完全な夏毛で、hodophilaxの冬毛の剥製標本(国立科学博物館、東京大學、和歌山大学及び大英自然史博物館にそれぞれ所蔵)とは毛質、色彩等著しく異なる。顔の右後方耳の下部に、その前方の暗褐色短毛部とは対照的な淡色の柔らかい長毛部がある(図3)。 これは冬毛の残りと思われ、この個体が冬毛から夏毛への更毛の最終期にあることを示すものであろう。 本剥製(a)はTemminck(1844)のFauna japonica、Tab.9に図示されていることは良く知られているが、色彩は標本とはかなり異なるものであった。近年、この標本のカラー写真が雑誌等に掲載され、その概観を知ることができる(東京国立博物館他、1988:山根一眞、1997b、c等)。大きさ(mm)は、鼻先から尾根部(直線距離)820±、尾310±(尾の先端約10mm針金が露出する)、耳80±、耳背面84±、後足157,5±、肩高405±,腰高465±,爪上面基部~先端距離×幅(右前肢第4指)21.0×4.2、(右後肢第4*)24.0×4.4、 本剥製の性別:この剥製は従来オスとされていた(今泉、1970;jentink、1892;小山、1989;中村、1998;田隅、1991)が、今回の調査でメスであることを確認した。腹部の毛は粗密で、かき分けると容易に皮膚が露出し、左右とも明瞭な乳頭が複数視認できた。オスと思われる性形質は認められなかった。ラベルにオスと記されていたために生じた誤りであろう。筆者が調査した1999年11月には、ラベルは台座裏面の1枚のみであった。 これにはmaleと明記されていた。しかし、これ以前には、台座の前面にも展示用と見られるラベルが付されており、それにも「♂ad」と記されていた。このラベルは1988年に東京国立博物館で開催された特別展「シーボルトと日本」の図録(東京国立博物館他、1988)や、山根(1997a)に掲載された写真でも明らかである。なお、山根(1997a)には、台座裏面のラベルの写真も掲載されている。なぜラベルにこのような誤りが生じたか、各方面の資料を検討し、改めてこの標本の来歴の調査が必要であろう。 頭骨:測定値は表1のとおり。本剥製と同一個体とされる。小さいが、頑丈でhodophilaxの特徴を良く示す。歯の摩耗が著しい。今泉(1970)により詳細に記載されている(図6)。 まとめ L1標本は、hodophilaxとして登録されているものであるが、familiarisであった。頭骨の大きさが hodophilax と紛らわしく、頭骨のプロフィールもオオカミに似て額段が少ない。 このような大きなイヌが野生状態にある時、当時の人々は、hodophilaxとfamiliarisを識別し得たであろうか。両者を総称して山犬と呼ぶことが多かったのではないだろうか。 hodophilaxのタイプ標本の剥製は、ラベルにはオスと明記されていたが、顕著な乳頭が見られメスと判明した。このような誤りがなぜ起こったのか、この標本の来歴の調査が必要であろう。 図3 L3 hodophilax(タイプ)の剥製 図4 L1 familiaris A:側面、B:前面、C:上面、D:下面 図5 L2 hodophilax A:側面、B:前面、C:上面、D:下面 図6 L3 hodophilax(タイプ) A:側面、B:前面、C:上面、D:下面 引用文献 今泉吉典(1970)ニホンオオカミの系統的地位について1。ニホンオオカミの標本、哺乳動物学雑誌、5(1):27-32 Jentink、F.A.(1892) Catalogue Systematique des Mammiferes. Museum D`Histoire Naturelle des pays-Bas. Tome XI p86. 小山 宏(1989)「日本特産、絶滅種ニホンオオカミ」、p19、渋川、北群馬郷土館. 中村 一恵(1998)ニホンオオカミの分類に関する生物地理学的視点.神奈川県立博物館研究報告(自然科学)、(27):49-60. 直良 信夫(1965) 「日本産狼の研究」、113-127、 校倉書房、 小原 巖・今泉吉典(1980) 日本犬の頭骨及び歯に見られる形態的特徴.在来家畜研究会報告、(9):139-154 小原 巖 (1990) 神奈川県厚木市および愛甲郡清川村の民家に保存されているニホンオオカミの頭骨. 神奈川自然資料、(11):53-65. 小原 巖・中村一恵(1992)南足柄市郷土資料館所蔵の、いわゆるヤマイヌ頭骨について. 神奈川県立博物館研究報告(自然科学). (21):105-110. 田隅本生(1991) “ニホンオオカミ”の実態を頭骨から探る. The Bone、5(2):119-128 東京国立博物館他編(1988)「日本・オランダ修好380年記念 シーボルトと日本」 p.99,朝日新聞社. 山根一眞(1997a)山根一眞の動物事件簿 第14回.シンラ、(38):125-131.新潮社. 山根一眞(1997b)山根一眞の動物事件簿 第15回.シンラ、(39):121-127.新潮社. 山根一眞(1997c)山根一眞の動物事件簿 第17回.シンラ、(41):121-127.新潮社. (文献の一部は今泉吉典博士にご教示いただいた. また文献収集には岩崎誠司氏の協力を得た.両氏に感謝の意を表する.) |