長野県天龍村向方の所謂「オカタの山の神」の頭骨鑑定に伴う今泉理論


今泉 吉典
東京都杉並区阿佐ヶ谷北 2-8-17
オカタの山の神  直良信夫博士の著した“日本産狼の研究”に掲載されている長野県下天龍村の「オカタの山の神」の頭骨が、長野市立博物館で、近々展示されると言う情報を得た私は、頭骨の管理者である橋爪氏並びに、長野市立博物館の学芸員畠山氏の了解を得た上、七月のある暑い日、研究仲間の大場氏と共に長野市立博物館へと車を飛ばした。長野県下で出された、ニホンオオカミに関する文献に登場する「オカタの山の神」の頭骨と、(例えば、松山義雄著“狩りの語り部”、“伊那谷の自然第52号”等)直良信夫著“日本産狼の研究”に掲載された頭骨が同じ物とする事に、かねてから疑問をもっていた私は、畠山氏に会うといの一番に下顎の存在を聞いてみた。すると私の予想通り、天龍村向方のオカタの山の神の神体として秘蔵されている頭骨は、元々上顎のみの標本で、“日本産狼の研究”に掲載された頭骨とは、別の頭骨だと云うことがほぼ確実になった。その日、余りの暑さの為うかつにも計測器具を忘れた私達は、大場氏のスケッチにおよその寸法を記入し、写真撮影をして長野を後にした。(後日改めて天竜村に出向き再調査をした)。
  その後撮影した写真全てと、私の考察等を今泉吉典博士に送り、所見を伺った。
書簡は「オカタの山の神」の頭骨を「八木頭骨」と仮称し、その頭骨の同定のプロセスをA4の用紙6ページに事細かに認めてあった。
   今泉博士は、高い信頼限界で八木頭骨(オカタの山の神)はニホンオオカミであると判定し、“日本産狼の研究”で記録された頭骨とは別物である事を、諸々の計測値等から判定されていた。書簡中「オカタの山の神」の件に関連して、非常に重要なことが記されてあったので抜粋してその一部を紹介する。

 A) Pocock(1935は大英自然史博物館所蔵の新旧両世界産の狼類(ニホンオオカミやホッキョクオオカミを含む)を調べ、それら全てをオオカミcanis lupusの亜種と判定した。殆どの専門家は、この見解に従っているが、私(1980)は少なくともニホンオオカミCanis hodophilaxはタイリクオオカミC.lupasの亜種ではなく、それぞれ別の種だと思うようになった(その後ホッキョクオオカミC.Arctosも同様に別種と考える様になったが詳細は未だ解明されていない)。それは、旧世界と新世界に分布するタイリクオオカミの亜種の頭骨基底全長CBL平均値は生息地の一月平均気温Xと相関して変化し、回帰方程式Yc=a+bxで示す事が出来る直線を形成するのに、ニホンオオカミとホッキョクオオカミはこの回帰直線に一致しないからである。鼻骨率(鼻骨長÷頭骨基底全長×100)平均値でも同様な現象が見られる。旧世界のタイリクオオカミは今から約80万年前に現れたが、新世界へ進出したのは約40万年前である(Kurten and Anderson.1980)。したがって両大陸の個体群は殆ど40万年間も隔離されていて交流が無かったと思われるのに、頭骨基底全長と鼻骨率の回帰方程式のaとbの値は全く変化していない。少なくともこれら二つの形質を支配する遺伝子は進化を停止していたようである。ところがニホンオオカミとホッキョクオオカミは、頭骨基底全長と鼻骨率がタイリクオオカミと違い、これらに関連した遺伝子が違うように見受けられるのである。私がこれらをタイリクオオカミとは別種と考えたのはこの他、耳介と後足が短いことも考慮した結果である。
   『オカタの山の神の頭骨』はニホンオカミである。上記のようにタイリクオオカミでは頭骨基底全長平均値は生息地の一月平均気温が低くなるにつれてゆるやかに大きくなり、鼻骨率平均値は反対に気温が下がるにつれて次第に低くなる。したがって気温0度前後の本州に生息する狼がタイリクオオカミの単なる亜種に過ぎないなら、その鼻骨率(N=12)のM±SDの範囲(68%の個体が含まれる)は、気温-10度前後の朝鮮半島からチベットまで分布するチベットオオカミC.l.chanco (N=4)の40.6~42.8(M±SD=41.7±1.1)と、気温+10度前後のインド北部に分布するインドオオカミC.l.pallipes(N=8)no43.1~46.1(44.6±1.5)の中間でなければならないのに、実際は36.3~38.9(37.6±1.3)で、どちらよりも低い。
このようにニホンオオカミは鼻骨率だけでもタイリクオオカミの全ての亜種と区別できる。
(信頼限界は50%+34.1%=84.1%)。なおアメリカのタイリクオオカミで1月平均気温が日本に近いのは-5度前後のモンタナ、アイダホ、ワイオミングに分布するモンタナオオカミ
C.l.irremotus であるが、これの鼻骨率は40.6~43.6(42.1±1.5)とニホンオオカミより遥かに高く、チベットオオカミにほぼ等しい。なおニホンオオカミとチベットオオカミの鼻骨率の違いは、その差異係数CDから推定すると両個体群の約95%の個体をこの形質で選別できる程度に達している。差異係数CD(Mayr他、1953が提唱)とは「平均値の差」と「標準偏差の和」の比で、この場合は平均値の差が41.7-37.6=4.1、標準偏差の和が1.1+1.3=2.4であるから、CD=1.7となり、二つの集団の重なり合わない部分の面積が95.5%以上に達することが推定される。
 このようにニホンオオカミはタイリクオオカミの亜種ではなく別種であるが、その識別形質として有用なのは私が計測した部分に限ると鼻骨率しか見当たらない。そこで八木頭骨(オカタの山の神)の鼻骨率であるが、写真から計算した限りでは36前後となる。この値はニホンオオカミの標準的な個体が含まれるM±SDの範囲にきわめて近く、地域的に最も近い朝鮮半島に分布するチベットオオカミとは顕著に違っている。したがって八木頭骨(オカタの山の神)はユーラシア大陸とアメリカ大陸に広く分布するタイリクオオカミの亜種ではなく、明らかにニホンオオカミである。
   B) 側頭窩の神経孔が左5個、右が6個の件。ニホンオオカミにもこのような例が頻繁に見られる。(タイリクオオカミでも同様)。ところがイヌ(日本犬を含む)では、私が調べた限り常に5個であった(故世古氏が日本狼の血が混じっていると称していた1個体だけは6個であった)。したがって右が6個あっただけで「八木頭骨(オカタの山の神)はイヌでないと考えてほぼ間違いない。なお神経孔は他のイヌ科動物(キツネ、タヌキ、コヨーテ、ジャッカル、ドール等)では私が見た限りでは常に5個で、原始的な状態を示すと思われる6個型が不思議な事に最も進化度が高いとしか考えられない狼にしか現れない。Mivart(1890),Pocock(1935),安部余四男、平岩米吉、斉藤弘吉、直良信夫等の諸氏が狼のこの特徴を無視したのは、イヌ科全体を対象にすると6個型が極めて稀なためかも知れない。私はイヌ科動物の頭骨382個以上(大多数は大陸狼)でこの孔を調べたが、怠けていて未だ詳細を発表していない。
   C)直良信夫著「日本産狼の研究」(1965)、145頁「長野県下伊那郡天龍村神原向方地方産の頭骨」に記録された狼頭骨「直良頭骨」と「八木頭骨」の関係。私の率直な感じではこれはどうやら別の個体のようです。それは頭骨を真上から写した写真後端のデルタ形の部分が、「八木頭骨」では左右のラムダ稜が合わさって約60度の鋭い角を形成し、ラムダ稜の何処にも傷(不自然な欠損部)がないのに、「直良頭骨」ではその角が90度に近く、しかも右稜には2個の大きな欠損部(切り傷)があるように見えること(写真が不鮮明なので見間違いかも知れません)、及び頭骨全長に対する頬弓部率(頬弓部幅÷頭骨全長×100)が違うと思われるからです。頬弓部率は「直良頭骨」では58.4%(直良氏が写真から推定した計測値に基づく)で、私が同様にして求めた値も58.7%と大差ないのに、「八木頭骨」では実測値が55.6%しかなく写真ではそれ以下の値しか得られなかったからです(写真1が53.6%、写真16が54.5%)。写真からの計測値はあまり当てにはなりませんが、頭骨後端部の形態、特にその切り傷は重要だと思います。・・・・・・・・
   1996年8月28日       今泉吉典

   とすると、直良信夫著内の頭骨は、何処に有るのだろう・・・?と、興味は別の所に移り、写真撮影者、提供者と思われる向山雅重氏(未亡人)、千葉徳爾氏等に、その疑問の程を投げかけた。非常に大きなエネルギーを傾けたのであるが、残念ながら現在に至るもその所在は、明らかになっていない。「直良頭骨」の所在が明らかになって、長野県下四例目の標本となる日が早く訪れるようにと願うのは、私だけではないと思えるのである。